■第19回大会関連
日中社会学会第19回大会を終えて
陳 立行
(第19回大会実行委員長・日本福祉大学)
会員の皆様のご協力により、日中社会学会第19回大会を無事に終えました。大会の後、何人かの会員の方から「充実した内容の大会だった」などのメールをいただきまして、ほっとしている次第です。
21世紀中国は大きな新興国として、これまでの世界の構図に変容を迫っております。すでに経済の分野を大きく超え、政治支配のあり方、社会統合のメカニズム、環境との共生の可能性などといった分野まで、大きく注目されるようになりました。特に高度経済成長が10年以上続いている中、格差問題、民族問題、地域社会の崩壊などの諸問題が噴出し、今後の中国社会の安定と持続的な発展が達成されるかどうかは、全世界にとって不確定な変数となり、各国の社会学者の知恵が問われる時代になっています。
このような時代の要請に応えることは日中社会学会の会員皆様の共通かつ強い願望と思い、本大会は、学問の刺激と研究交流の場としてより効果的に機能するように努めました。中国の現状と喫緊の課題を的確に把握するため、「中国の社会の行方―調和と共生」というシンポジウムを日本福祉大学COEと共同で開催し、中国社会科学院社会研究所前所長景天魁先生を招いて基調講演を行いました。景先生による、中国の調和社会構築のための最新の政策や試みに関する講演の後、調和社会の構築に関わる中国の現状と課題についてパネラー討論を行いました。パネリスト達の鋭い対論は参加者に大きな刺激を与えたことと思います。
そして、本大会では、科研セッションの発表を設けました。このセッションの狙いは、会員により担われている科研費研究の質を国際的に認められる高いレベルに引き上げることにあります。本セッションでは、中国の大学や研究機関からの学者も参加し、二つの科研プロジェクトの中間発表に対して、多角的な議論を深めました。これを通じて、日本と中国の社会学者の真剣で、活発な議論が繰り広げられ、会員の科研費研究がより高い水準へ到達するために、意義ある貢献をしたと思います。
さらに、学会大会慣例の自由報告では、今年は若手研究者の高いレベルの研究発表が見られました。また女性研究者の活躍が印象的だったように思います。
最後になりましたが、本大会では多くの会員皆様のご協力を賜り、無事大盛況のうちに幕を下ろすことが出来ました。心より御礼申し上げます。一方、参加人数が多いことから懇親会の会場がかなりの混雑となったこと、大会実行委員会として、皆様にお詫び申し上げます。
■大会参加記
第1日:6月2日(土)
基調講演「構築和諧社会的機制」
景 天魁
(中国社会科学院社会学研究所前所長・院士)
司会:陳 立行(日本福祉大学)
通訳:鍾 家新(明治大学)
松木孝文(名古屋大学)
基調講演の表題にある「和諧社会」は「調和社会」と訳されるが、この「調和」が何故重要となるのか。講演では各集団、利益集団において共通の利益を見つけるのが最良であるが、共通点がないときには均衡点を見つけ、その両方が不可能である場合は調和システムを作ることが重要であると述べられた。これを中国の現状に照らした場合、農村都市間などで格差は大きく、また共通点や均衡点も見出し難く、福祉政策を行ううえではとりわけ調和が念頭に置かれる必要がある。20年前のケ小平による市場経済導入の決定に続き、20年後の今また新しい社会モデルの構築を迫られていると言えよう。
景天魁先生(左)、鍾家新会員(右)
国際シンポジウム
「中国社会のゆくえ――共生と調和」
司会:陳 立行(日本福祉大学)
討論者:黒田由彦(名古屋大学)・小林一穂(東北大学)・駒井 洋(中京女子大学)
首藤明和(兵庫教育大学)・袖井孝子(お茶の水女子大学)・中村則弘(愛媛大学)
羅 紅光(中国社会科学院・社会学研究所) (五十音順)
長田洋司(早稲田大学)
1.解題
パネラー討論では先ず、司会の陳先生から問題提起がなされた。それは、2004年に中国政府により出された「調和社会の構築(構築和諧社会)」という発展目標の実現のためには、先ず、「共生」の理念の浸透が必要ではないか、そして、共生的に調和した中国社会の構築に対して、その問題の所在と解決策の模索が求められるというものである。
2.中国社会の実態報告
陳先生の問題提起に続き、首藤先生、小林先生、袖井先生、黒田先生により、中国社会の実態報告がなされた。首藤先生は、中国の低層階級に着目して報告された。都市部においては、これまで単位が担っていた外部機能が外部化したことにより現れた社区建設と小政府化という流れの中で、底辺層や貧困層が形成された。一方、農村部では、流動人口が1億3千万とも言われ、その内、3〜4千万人が大都市へと出稼ぎに出ている。こうした状況下において、家族の離散、独居老人の増加などが現れ、家族機能が成り立たなくなっているのである。そして、日中共に、アジアでの外発的生産性システムを構築する中での内発的発展が叫ばれる中、家族の機能は改革開放以降、人間関係が崩壊してしまっている。今後、福祉だけでなく、人と人との連帯や参加、相互承認を生産性システムから解放させることが必要となるのではないかと提言した。
次に、小林先生は、山東省で自身が行われた農村調査による結果から報告された。現在、農業と工業が共に発展するように促されている中で、農村生活の都市化の様子が調査された。調査によると、義務教育は進んでいるもののまだ高学歴化には至っていない、農業との兼業が進んでいる、都市に対しては大都市よりも周辺都市に対する意識のほうが身近に感じられるといった点が明らかになったということである。そして、現在はまだ都市化の過渡期であり、農村の人々は都市への漠然とした憧れはあるものの、どうしても都市へ向かいたいという渇望はなく、理想は兼業農家であるという。おそらく、大都市で起こっている問題を彼らも把握しており、そのため、都市への吸引力が弱いのではないかと分析した。
また、袖井先生は、「転換期中国の社会保障」と題して、中国の社会保障制度の現状を日本との比較の視点で説明した。報告の最後では、社会主義的福祉国家の可能性として、社会保障制度が必要であることを踏まえた上で、中国型福祉国家モデルが可能であるかという疑問を呈した。
そして、黒田先生は、都市における市民社会の発展の現状について、改革開放以降、歴史的にどのように成熟したのかについて語った。都市の社会構造の変化としては、改革開放政策以降、都市社会構造が大きく変化しており、それは「単位」から「社区」へといった部分でも現れている。そして、その新しい社会構造としての「社区」は、現在、最低生活保障や医療サービスなどの役割を担っているという。だが、「社区」というのは近隣政府であり、その補完性の原則には地域差があるかもしれないと指摘した。また、「社区」以外の中間集団の状況としては、党の指導をどのように捉えるかという問題はあるが、一種のボランティア組織と考えれば育ってきていると分析した。
3.課題の提起
続いて、駒井先生、羅先生、中村先生により、それぞれ課題が提起された。
駒井先生は、共生は“差異”を前提としており、日本では“多文化共生社会”と言える。こうした言葉は、中国社会に当てはまるのだろうかと疑問を呈した。そして、その実現のためには、@(構造的な)平等性の確保、A文化の差異性の確保が必要である。しかし、中国では、@党員や資本家、都市住民、農民という3つの主要階級の平等をどこまで確保するか、A地域的な文化の素材もあるが、社会主義革命や市場経済化など文化の差異を破壊してきた、といった問題がある。これからは、同一化に対抗する地域的差異性を構築することが理想であり、新しい中国文化の構築が課題である、とまとめた。
次に、羅紅光先生は、人と自然をキーワードに挙げ、同時進行している文化的差異と生物的差異に対して、どうやってその差異にアプローチしていくかが課題とした。そこで、2003年に行われたメコンリバーセミナーを例に挙げ、交流により共有することでひとつの智慧を出し、他者理解のメカニズムを構築することの重要性を語った。
中村先生は、先ず、困難なテーマであるという現実、矛盾の中で考えること、和諧社会とはオルタナティブなテーマであることを指摘した。調和の取れた社会とは、競争的経済体制の中に埋め込まれており、共生とはきれいな社会が想定されているが、社会のあり方で大事なのは、各々の在り方を知ること、混沌とした世界であるということであるという。つまり、調和の取れた社会について折り合いをつけるためには、多様な世界が共存する社会の中で、その境界や裏表にある混沌とした第三の世界を見出すことであり、そうすれば、実践的な対応ができるのではないかと提起した。
質疑応答・討論(フロア・パネリスト間の議論)
質疑応答の時間では、パネリスト、フロアから活発な意見が交わされた。以下、質問及びその回答の一部である。
Q.文明にも地域性があると感じ、調和社会にも多様性があるのだが、文化と文明に触れて本当に地域性があるのか?
A.地域と文化の観点は中国の多文化主義を構築していない。文化のクレオール主義が大事である。
Q.共生と調和を取り上げることの危うさがあるのではないか?共生と調和は、支配階 級が提唱するものではないのか?低層階級は本当に実現可能と考えているのか?そしてもし不可能なら、それを乗り越えるものはあるのか?共生と調和はあいまいな概念ではないか?これからの将来を考えるとキーワードは公共ではないのか?
A.格差がひどい状況での裏返し的に“調和社会”といわざるをえないのではないか?社会保障、社会福祉だけでは解決できないであろう。これだけ格差が進行する中で共生と調和を取り上げるのはおかしい。中国都市社会の脈絡で考えれば、全く無駄な行動ではない。全く生活できない人を阻止するラインで進むのでは?その意味で社区建設は評価できるのでは?
・共生というのはちょっと欲張りな議論ではないか?中国人は日本人と逆で他人との差で自分を認識する。社会学者として中国の社会の安定、最低レベルの平等のためにどうするか?
・日本のコミュニティケアには意味があった。人の尊厳を認めることが大事であるが、差異を唱導することの危うさもある。生活のシステムから抜け出した文化を認め、ハイブリティズムを認めるべきである。
・中国農村は二極分化しており、中間層が分厚くならなければならないのだが、新農村建設によるインフラ整備と底上げがそれになるのではないか。
・現状の改善は難しいが、農村は情報が少ないのではないか。しかし、情報化が進むと不満は募る。そこで、最低生活保障が必要であり、それを危機感を持って急ぐべきである。
・開発という目標をどう相対化するかが理念的課題である。社区には両面があり、市民社会への方向と開発主義に加担する方向である。
・資本主義プロセスには本源的蓄積が課題となる。文化的共生の前には平等が重要となる。乱れは農村から来ている。政治改革から金儲けへ転身して現在の問題を生み出したのである。
・文化抜きでは生きられないという前提がある。文化は表層の部分で違いがあるが、基本の部分は同じである。文化を真正面から向き合い批判することである。
・最低レベルの保障をどうするか?保障しうる文化を創らないといけない。日本人に危機感がない。中印が経済発展する中で環境問題などはどうなるのか?日本も含めて中国と共に生き方、生活のあり方を考え直すべきである。
・もう中国だけの問題ではなく、日中の共生を考えるべきである。
以上、パネルディスカッションの様子を再現してみたが、全体的な印象としては、日中双方の研究者の方々が、非常に活発な意見交換をしながら、将来の中国の進むべき方向性について真剣に模索している姿を見ることができた。そして、こうした対話を通して、将来の中国、さらに日中関係にとっても何らかのプラスの効果をもたらすのではないかという確信めいたものが感じられた。
第2日:6月3日(日)
一般自由報告A
司会:東 美晴(流通経済大学)
・アラタンバートル(神戸大学)「中国のモンゴル族にみる言語継承と教育実践――内モンゴル農村地域における学校選択を中心に」
・植村広美(呉工業高等専門学校)「農民工子女の教育機会の保障に関する地方政府の役割」
・リブネ宮崎紀子(香港中文大学日本研究学科)「香港社会における中等教育機関での日本語教育の現状――需要と問題点を中心に」
・合田美穂(香港中文大学歴史学科)「中国と東南アジアにおける関係の中での香港の役割」
松木孝文(名古屋大学)
アラタンバートル会員による報告『中国のモンゴル族に見る言語継承と教育実践』は学校におけるモンゴル語教育と両親の職業階層との関連を指摘しつつ展開された。言語の継承は中国社会における少数民族を論ずる上で見逃せない論点であろう。本報告においては職業、とりわけ経済状況に余裕のある家族が言語教育に高額の投資を行っていることが提示された。データは現地での聞き取り調査に拠っており、内容も多岐に渡っている。そのため、今回はあえて職業階層と学校教育に焦点を当てているものの、分析の角度を変えた報告を聞くことができれば一層モンゴル族社会を知ることができるのでは、という印象を受けた。次の報告も心待ちである。
植村広美会員による『中国における「農民工子女」の教育機会の保障に関する研究』もまた現地調査におけるデータを軸とした報告である。現行の戸籍制度のもとでは都市における出稼ぎ労働者子弟の教育はカバーされておらず、義務教育を受けられない子供の数は多数に上る。本報告において取り上げられた事象は制度がフォローできない問題を非制度的な領域で解決しようというものであり、民衆の中から立ち上がる新しい動きとして位置づけられる。とはいうものの、この活動は現場での実践において多くの問題を抱えており、また、こうした活動を手放しに評価することは本来制度で担うべき事柄をも一方的に民衆へと押し付ける論理になりかねない。あらゆる場面で論じられる種のジレンマではあるが、これが現場のシビアな状況の紹介を通して改めて突きつけられた、というのが本報告から受けた印象である。
リブネ宮崎紀子会員の『香港社会における中等教育機関での日本語教育の現状』は現在の香港の中等教育課程在籍者における日本語教育を取り上げたものである。本報告においては主に「何故中学生が日本語学習を希望するのか」「日本語教育における現時点での問題は何か」等の問題意識を軸に日本語教育の現状を紹介している。中等教育課程においては日本のサブカルチャーに親しんでいる者が多く、それが日本語学習者増加の要因となっているという。海外のサブカルチャーが海を越えて多数の若者の進路に影響を与えるという構図は国際化や情報化など単純な括りをすることも可能ではあるが、まさにその現場における具体的なジレンマを示唆している点で本報告は非常に興味深い。
合田美穂会員の『中国と東南アジアにおける関係の中での香港の役割』は先の三報告とはうって変わって香港の位置づけというマクロ視点からの議論となる。本報告では政治・経済的な環境の変化を時期区分しつつ香港の「優勢」が論じられた。今回明らかにされたのはとりわけ中国および東南アジアにおける華人のアクティブさであり、また香港が華人社会の存在する場として「優勢」を保っていることである。本報告は報告者自身の参与観察や新聞報道など、日々蓄積されたいわばミクロな情報をマクロな事象の分析に生かした好例ではないだろうか。
一般自由報告B
司会:根橋正一(流通経済大学)
・宮内紀靖(中国瀋陽師範学院)「中国の現今の社会変化は社会構造変動なのか」
・賽漢卓娜(サイハンジュナ)(名古屋大学大学院)「日本の都市近郊農村に嫁ぐ中国人妻にとっての『農村』と『農家の嫁』」
・晨 光(神田外語大学)「ソーシャル・キャピタル投資と社会発展」
長田洋司(早稲田大学)
第二日目は、午前9時半より二つの部屋に分かれて一般自由報告が行われた。一般自由報告Bのブースでは、流通経済大学の根橋正一先生が司会をなさり、3名の方から報告がなされた。
先ず、賽漢卓娜(サイハンジュナ)先生は、「日本の都市近郊農村に嫁ぐ中国人妻にとっての『農村』と『農家の嫁』」というテーマで、東海地域の都市近郊農村部T市の農家に嫁いだ中国人妻の方々への実際のインタビューや参与観察調査を通して、日本人農家に嫁ぐ中国人女性の認識と現状について報告した。そして特に、2つの具体的なインタビュー事例を紹介しており、その語られた体験や認識は全く正反対のものであった。これらの事例から、中国人妻が「準拠枠」を規定する一つの重要な要因として、所属集団、つまり嫁ぎ先である農家の受け入れ体制が挙げられると指摘した。また最後に、所属集団との親密さにより、「準拠集団」がかつての所属集団から現在の所属集団へと変動しうる、あるいは変動し得ないことが分かる、とまとめた。フロアのほうからは、受け入れ体制が行政的な体制なのかどうか、地域的或いは特性の影響があるのではないか、また、紹介された二つの事例の受け入れ先、環境をチェンジしても同じ結果が得られるか等、多くの質問や意見が出された。
次に、宮内紀晴先生より、「中国の現今の社会変化は社会構造変動なのか」という報告がなされた。報告では先ず、社会変化・変容の種類と態様について説明がなされ、前社会全体構造を崩壊させ、新たな社会全体構造を打建てるような劇的な“変質”である『変動』と従前の社会構造に戻る“変容”である『変化』とを区別することを説明している。そして、社会構造変動を、その社会を構成する人間全てによって、社会の意識・価値・行動・役割・制度・規範・その他の、全ての社会構成要素が、ほぼ同時に『カタストロフィ』的に、大転換することであり、またその主要な過程にあることであると、位置づけた。これを踏まえて中国を見てみる時、中国社会の現今の社会激動と言われるものは、社会全体構造のカタストロフィー変容、即ち『社会全体構造変動』とは位置づけることはできないし、全体構造の部分を成す、部分構図の変動(体制変動)でもないのではないかと分析した。フロアからは、カタストロフィー変容を1980年代の超安定社会構造と理解していいのか、社会構造の変動は文化の変動か、また、文明と文化はどちらが先に誕生したのか等の質問が出された。
最後に、晨光先生より、「ソーシャル・キャピタル投資と社会発展」というテーマで報告がなされた。この研究では、ソーシャル・キャピタルアプローチを用いて中国の市場化を分析し、市場化における地方政府と外資企業の間に社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)が形成され、地域社会の発展が実現されるという構造が実証的に考察されている。報告では先ず、市場化により拝金主義や人間関係の悪化といった状況が現れており、その解決策としてソーシャル・キャピタルがあることを述べた。そして、ソーシャル・キャピタルについて、西洋社会と非西洋社会との差異、その問題点を挙げ、地方政府や企業との間のソーシャル・キャピタルの形成内容等について説明がなされた。さらに報告の後半では、ある地域社会におけるソーシャル・キャピタルの現状について具体例も挙げて紹介がなされた。フロアからは、市場社会と市場化している社会の違いとは何か、外から進出する企業と地元政府とのソーシャル・キャピタル形成よりも、その地域の元々の産業を発展させることがもっと重要なのではないかといった質問、意見が出された。
以上、このブースでは、全体的に理論面、実証面でのそれぞれの報告があり、バランスが取れていたという印象を受けた。
科研費セッションA「中国都市社区研究」
司会:鍾 家新(明治大学)
コメンテーター:南 裕子(一橋大学)
通訳:李 研焱(駒沢大学)
劉 暁梅 (滋賀大学)
・楊 剛(東北財経大学)「社区合作社」
・胡 加栄(首都経貿大学)
「農民上楼」(都市社区に移住した農民)
・常 向群(英国・ロンドン経済大学)
「社区礼尚往来」(近隣ネットワーク)
・劉 暁梅(滋賀大学)「農村の年金制度」
長田洋司(早稲田大学)
午後からは、科研費セッションとして、二つのブースに分かれての報告がなされ、このブースでは、「中国都市社区研究」というタイトルで五人の方から報告をいただいた。
先ず、楊剛先生から「社区合作社」というテーマで、大連市の社区公共サービス社を事例として、最低生活保障制度を再就職と結びつける過程の中で、如何にして貧困対象者の社会福利権利の確保が実現できるかという報告がなされた。報告では先ず、大連市における社区公共サービス社(民間組織或いは自治団体で、最低生活保障を受けている対象者の中で労働能力のある者達を組織して、生活保障や労働就業を促進させることを目指す)の現状や問題点について、実例を紹介しながら説明がなされた。そして次に、こうした問題を考える際に問題となる資産の構築(誰が保障し、どのように集めるか)について提起された。そして、中国においては、社区公共サービス社が、労働能力のある最低生活保障者やその他の社会メンバーを組織することで、資産を累積するための模索をしているとし、資産の蓄積を通して公民の福利権利を増進させることが中国社会の福利発展における必然の路となるだろうと分析している。更にはまた、社区公共サービス社の発展のためには、政府のサポートと自己努力の両方が必要であるとした。フロアからは、実例で紹介されている公共サービス社の資金源の援助は一時的なものであるかという質問に対し、最初は援助が必要で、政府からの交付金の形で毎年一時的な寄付を受けていると回答した。
次に、常向群先生が、「社区礼尚往来」というテーマで、個人、社会(社区、社団)と国家との関係について、“礼尚往来モデル”(「礼をもって礼を返す」というモデルで、費孝通先生の研究に基づく)を提起している。報告は@国家/社会の関係および“国家/社会二分法モデル”(the state/society dichotomous model)について、A個人、社会と国家との関係の研究について(先行研究など)、B個人、社会(社区、社団)と国家との関係における“礼尚往来”モデル(lishang-wanglai model)という三つの部分に分けて行われた。そして特に、実際の調査地となった江蘇省の江村の状況が写真を交えて紹介され、その“礼尚往来”によって成り立っている状況が説明された。
次に、胡加栄先生により、「農民上楼」というテーマで、都市化過程の中で北京における土地を失って都市社区へと移住した農民達について、彼らの就業問題について、その現状と問題点、対策について報告がなされた。現在中国には、失地農民が4000万人以上いると見積もられており、彼らの就業問題を解決することが重要となっている。そうした中、報告者自身が二年間に渡って調査している地域が紹介された。この地域では、住民達(都市社区へと移住した農民達)の生活は表面的には良さそうだが、彼らが就業するためには学歴など条件が整っておらず、困難があるという。報告の最後に問題への対策として、失地農民達への経済的補償や社会保障のシステムの完備、就職のための訓練メカニズムの構築、彼らへの就職ルートを開いてあげることなどが挙げられた。
また、劉暁梅先生は、「農村の年金制度」と題して、その現状と課題についての報告を行った。報告では先ず、中国農村年金保険制度の沿革として、その変遷を1986年から現在までを四つの段階に分類した。次に、中国農村年金保険制度の現状として、制度的な内容について紹介がなされ、基本法案は1992年に民政部による通知に沿ったもので、2006年に「新型農村社会養老保険試行を推進するための意見について」というものが提示され、各方面から意見が求められているという。またさらに、中国農村年金保険制度の動向として五つの点を挙げている。第一に、事業展開の地区と保険加入の人数が、下落傾向から回復に向かっている。第二に、土地収用農民の社会保障活動の進展。第三に、出稼ぎ労働者の特徴に合わせた年金保険方法の模索活動。第四に、各地区において様々な形で新型農保試行活動を推し進める。そして第五に、新型農村社会養老保険に関する管理情報システムを開発。報告の最後では、中国農村年金保険制度の課題として、制度や管理体制の問題点、安定した政策と資金の欠如等が挙げられた。
セッションの最後では、コメンテーターの南先生が、全体的な総評と報告者への質問が出された。全体的な感想としては、政策を受ける側が如何に参加し、構築していくかが重要であること、また、コミュニティ内の自助、互助の力が必要であるといった印象が述べられた。
科研費セッションB
@北東アジア地域研究財団助成金セッション
「中国の地方自治研究」
司会:黒田由彦(名古屋大学)
コメンテーター:江口伸吾(島根県立大学)
・李 暁東(島根県立大学)
「中国都市における住民自治に関する一考察――北京石景山区魯谷社区を例として」
・唐 燕霞(島根県立大学)
「中国の村民自治についての試論―村民自治第一村からの考察」
事務局
中国の都市及び農村の自治について、解放前、解放後の単位社会(都市)と人民公社(農村)、改革開放後の居民委員会(都市)と村民委員会(農村)などについて、国家と社会、政治構造、権力構造、自治の原則や実際(財政、決議の手続き、公開と監督の制度、委員の選出方法)など、多角的な視点から分析が試みられ、現代中国の自治の現状と課題が明らかにされた。
A「中国の底辺階層研究」
司会:晨 光(神田外語大学)
・中村則弘(愛媛大学)
「和諧社会と中国の底辺階級」
・首藤明和(兵庫教育大学)
「青海と西蔵における底辺階級」
事務局
中村則弘会員より、研究の全体構想が紹介された。すなわち、西欧近代、近代世界システムを問い直し、東アジア諸社会の歴史的特性、文化、エコロジーを生かす民衆の側に立った新たな発展構想を、その担い手となる人間に着目しつつ模索することだとされた。首藤からは、2006年夏に収集した現地調査資料と文献に基づき、特にチベット族の歴史や文化に着目することで、中国社会の貧困問題や環境・エネルギー問題について、いかなる知見が得られるのか説明がなされた。
ミニシンポジウム「現代中国の生活変動」
司会:唐 燕霞(島根県立大学)
話題提起:飯田哲也、坪井健(駒澤大学)、首藤明和(兵庫教育大学)
松木孝文(名古屋大学)
ミニシンポジウムでは2007年3月に発刊された『現代中国の生活変動』(飯田哲也編、時潮社)を題材に議論が交わされた。まず編者である飯田哲也会員から本編のコンセプトが再確認された。多様な事象を取り扱う社会学は拡散していると思われがちであるが、本来はそうではなく、実体として顕れるミクロ的な視点と理論として構築されるマクロ的な視点を繋ぐことが重要である。本編では現実面としては中国現地での経験、とりわけ「生活」を軸とし、理論面では「階層」に着目したという。
その後各話題提供者より本編各章に対するコメントがつけられた。その中でも本大会初日の国際シンポジウムの内容(「調和社会」)に関連して注目されるのが「階層ではなく階級のほうが分析枠組として適切だったのではないか」すなわち、中国社会における利害関係やそこから生じるコンフリクトに着目してはどうか、というコメントである。確かに中国社会においては複雑に利害関係が絡み合っており、そこに注意を払うことなしに現実を理解することは難しい。国際シンポジウムにおける「調和社会」の議論もまさにコンフリクトが存在することを前提として展開されているといえよう。また、話題は留学生をはじめとする「越境者」にも及び、フロアとのやり取りの中で「どの範囲で調和を考えるか」という課題も提出された。すなわち調和を考えるにしても現在は国境を越えて人やモノ、資本が行き来している時期である。当然社会も一国単位ではなく国際的に開かれた開放系として存在していることを念頭に置かなければならないだろう。以上、ミニシンポジウムにおいても忌憚ない議論が交わされたが、それも本編の提供する、現実に関する豊富な知見ゆえと言えるのではないだろうか。