「戦前・戦中の中国研究の現代的意味」

青柳涼子(淑徳大学大学院)

青柳

(1)1920年代から1940年代の農村調査

1920年代から1940年代に中国内外の研究者によって、家族規模や家族構成、農業経営面積・農地所有面積の広狭と家族員数の関係等の調査が行なわれた。その結果、平均家族員数が5人程度と予想よりも少なかったこと、家族の経済状態と家族員数には相関関係があったことなどが明らかになった。かつて中国家族は大家族か小家族かについて加藤常賢・牧野巽・清水盛光らの間で論争が起こった。この論争に対し、調査は@(牧野の言うように)以前より平均家族員数は少なく小家族であった、A(清水の言うように)富裕な階層にのみ大家族が成立した、という二つの解釈を定着させた。しかし、現在でも特に家族変動が論じられる際には、しばしば大家族制、あるいは複合家族制からの変動が論じられる。この矛盾を整理する手がかりとして、本報告では、当時用いられた家族分類に対し若干の問題提起をしたうえで、ライフサイクルの視点から中国伝統家族を捉え直したい。

(2)中国伝統家族の分類と類型

中国伝統家族に関して、家族規模は分類基準としてさほど重要でないとみなされた後にも、大家族・中家族・小家族という規模的分類が家族構成をさすものとして用いられた。林惠海は規模的大小のほかに、制度的大小によって家族を分類する必要性を指摘したが、彼のいう制度的大小は「制度」といいながらも親族関係の複雑さ、つまり現実の家族構成を示していた。また牧野巽は「中家族」を一子制「中家族」と多子制「中家族」に分けたが、ここで用いられた一子「制」および多子「制」は「制度」といえるものではなく、観察時点における家族の同居既婚子の数による分類であった。このように、林も牧野も本来の意味での「制度」を析出するには至らなかったといえる。
「中国農村慣行調査」資料から「分家(fen jia)」は、当時どの調査対象村でも行われていたこと、その際「分家単」を作成し保証人をたてることで一つの社会的承認を必要とする慣行であったことが明らかになった。「分家」は家産の分配を意味するが、それは男子の間での均分を原則としていた。こうした財産の継承に関連する家族の世代間関係のほか、「同居する子の生殖家族を、原則として一人の子に限らない」という居住規則を考慮すると、中国伝統家族の家族形成規則は複合家族制であったと考えられる。また「中国農村慣行調査」資料のなかにみられる「分家」事例をライフサイクルの視点で捉え直してみると、それぞれの家族は夫婦家族から直系家族、複合家族へ、また複合家族から夫婦家族、直系家族へと幅広く形態を展開させていることが分かった。このように複合家族制のライフサイクル上にも夫婦家族が現出するということを考慮に入れるなら、調査で得られた統計は、その観察時点における現実態(分類)をあらわしているけれども、ただちに家族形成規則(制度)をあらわしているのではないということがいえる。
しかし言うまでもなく、1949年までに実施されたこれらの調査は、中国における社会学の空白期以前の中国家族を理解する上で有用である。戦時下の調査の信憑性を問う声もあるが、1940〜1944年に行われた「中国農村慣行調査」は、面接調査を通して当時の家族生活を詳細に記しているという点で非常に貴重な資料である。こうした調査の再調査が行われるならば、今後の中国家族の変動研究にとって重要な意義を担うことになるだろう。

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